癒しの行政書士をめざして。

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『タルコフスキーの映画術』

タルコフスキイの映画術タルコフスキイの映画術
(2008/12)
アンドレイ タルコフスキイ

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タルコフスキーはロシアの映画監督です。

私はいままであまり好きな監督ではなかったのですが、書店で数ページ読んで、すっかり魅了されてしまいました。

冒頭で、タルコフスキーは、リュミエールによる世界最初の映画上映がなされたときのことを描写する。

『列車と到着』というその記録映画で、列車が画面に向かって突進してくる映像を見て、観客のなかには、座席から逃げ出す者もあったという。

その瞬間に映画芸術が誕生した、とタルコフスキーは言う。

「~(このとき)世界を複写する新しい手段が誕生しただけではない。新しい美学的原理が誕生したのである。この原理は、芸術の歴史において、文化の歴史において、人間がはじめて直接、時間を刻み込む手段を発見した点にある。そして同時に、必要に応じてこの時間をスクリーンの上に繰り返し再現し、この時間に戻る可能性を発見した点にある。人間は現実の時間の母型を手に入れた。発見され、固定された時間は、今では長期間にわたって(理論的には永遠に)金属の箱のなかに保存されうるようになった」

この一文に惹かれて読み進めるうちに、20年も前からの疑問にある解答が得られた気がしました。

20年前、学生時代に自主映画をつくっていました。

当時の映画サークルといえば、まだまだ芸術的な高尚な映画が主流で、今のようにエンターテイメント作品を志向するような風土は珍しかったのです。

そのなかで、私が所属していた大学のサークルでは、ある人はSF映画を撮り、ある人はホラー映画、また私はチャンバラ映画を撮るといった具合に、見事に娯楽作品一辺倒でした。

しかし、そんな私も、3本目の作品になって、迷いが生じてきたのです。

それは、簡単に言うと、中身と表現方法はどっちが大事? ということです。

ふつうの人は、簡単に「中身」と答えるでしょう。

しかし、作品をつくる人は、中身と同じくらい、その中身を表現する表現方法に気を配るものです。

むしろ、表現方法がその人の作家性を決めるものですから、とても重要な問題なのです。

そこに悩み、ついに私は作品をつくれなくなってしまいました。

フランスの詩人、ジャン・コクトーは映画監督でもありますが、この問題にズバリ、

「中身なんて問題じゃない。表現方法こそが重要だ」

と言い切ってます。

そのコクトーが提唱したのが、シネマトグラフという概念で、これは映画を意味するシネマに対立する概念です。

コクトーは、いわゆる普通の人が見る娯楽映画などは、シネマであり、私がつくっているシネマトグラフとは似て非なるものだ、と言いました。

その後、同じくフランスのロベール・ブレッソンという監督が、この概念を推し進め、自らがつくっている作品も、「シネマではなく、シネマトグラフである」と主張しました。

タルコフスキーは、この本のなかで、ブレッソンの映画について何度も言及し、褒め称えています。

読み進めるうちに、気づいたのですが、コクトーがなぜ、自分の作品のことを「シネマトグラフ」と呼んだのか、という着眼点です。

シネマトグラフというのは、本当は、リュミエール兄弟が発明した、撮影機兼上映装置の機械の名前なのです。

コクトーはおそらくこう言いたかったのでしょう。

「シネマトグラフという装置でつくられた作品を、私はシネマトグラフと呼ぶ。」

・・・というのも、かねがね疑問に思っていたのですが、映画はいろいろなものを映し出すメディアですが、CGって、映画なんでしょうか?

CGはCGであって、制作方法を考えても、コンピュータ上でまずつくられて、わざわざ映画用のフィルムに書き直すんですね。

つまり、本来はコンピュータに属するものを、映画という器に乗せているだけだと。

同様に考えると、原作小説、役者の演技、大道具、小道具、衣装、セットなども、他の芸術の分野に属するものを、わざわざ映画装置の前に持ってきただけのものです。

映画というものは、他の芸術の助けなしには成立しないものになってしまう。

映画ってそもそも何なのか。

映画の基礎、これを取り除いたら、映画じゃなくなる…というものは何だ?

それはムービーカメラなんですね。

つまり、カメラ主体に考えると、それは映画になるけど、現状の多くの映画は、どっちかというと人気の出た原作小説が発想の主体になっていたり、スターありきで企画が始まったりする。

そんなものと、自分の作品を分けて考えたい。

・・・とコクトーは考え、ブレッソンが継承したのではないか。

そして、カメラを主体に発想するとはどういうことか。

それが、先に引用したタルコフスキーの言うとおりなんじゃないか。

つい、長くなってしまいました。

誰も読んでないと思って、好き勝手書いてしまいましたが。

続きはまた今度ということで・・・(え? またやるの?)

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massy0627

Author:massy0627
横浜市で行政書士として開業して早2年半。
まだまだ未熟者ですが、毎日勉強を欠かしてません!
今年は、成年後見業務を中心に据えることを決め、ますますやる気いっぱいです。
みなさまのお役に立てるようがんばりますので、温かい声援をよろしくおねがいします。

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